鍵山正和さんは、1990年代に活躍した元フィギュアスケート日本代表です。
現在は息子・鍵山優真選手の父親兼コーチとして知られています。
引退後はインストラクターとして活動しながら、息子・優真選手を世界に通用するスケーターに育てました。
鍵山正和さんには離婚歴があり、シングルファーザーです。
離婚の理由や原因は何だったのでしょうか?
鍵山正和さんは酒に飲まれるタイプだったという情報もありますが、それが原因でしょうか?
本日は、鍵山正和さんが離婚した理由について調べました。
鍵山正和は鍵山優真の父親でコーチ!経歴とプロフィール!

名前:鍵山 正和(かぎやま まさかず)
生年月日:1971年4月12日(2025年現在 54歳)
出身地:愛知県名古屋市
最終学歴:愛知工業大学名電高等学校卒、愛知工業大学中退
職業:フィギュアスケートインストラクター、コーチ、
正和さんが本格的にスケートを習い始めたのは小学校2年生。
スケート好きの母・佐治子さんに連れられて遊びに行ったスケートリンクで先生に
「素質がある」
といわれたのがきっかけ。
当時はレッスン代が3万円、と一般の習い事の4~5千円に比べるととても高額。
しかし、佐治子さんは息子の才能を信じていました。
それでも佐治子さんは「ひるまなかった」と必死に働き、金策に走った。「正和を五輪に必ず出すと思っていた」と息子の才能を信じていた。情報引用元:https://hochi.news/
1980年代後半にジュニア世代として本格的に国内外の大会へ出場。
引退後はコーチとして活動。
息子・鍵山優真選手を世界トップレベルに育て上げたことが、指導者として最大の業績です。
北京五輪銀メダルや世界選手権複数回のメダル獲得の裏には、父としてコーチとしての長年のサポートがあったと多くのメディアで語られています。
鍵山優真選手の「父親兼メインコーチ」として、ジュニア時代からトップシニアまで一貫して指導。
近年はカロリーナ・コストナーと協力しながらチーム体制で優真選手をサポート。
2025年には、福岡県が進めているアスリートの発掘や育成への取り組みに名コーチとして鍵山正和さんも参加することが発表されました。
2025年3月1日のDeepEdgeの記事でこのように紹介されています。
アスリートの発掘・育成で全国の自治体をリードしてきた福岡県が、冬季競技のフィギュアスケートでも新たな取り組みを始めた。
五輪代表の輩出を目指し、アカデミーで選手を手厚く支援するシステムを構築。2022年北京冬季五輪の男子銀メダリスト、鍵山優真(かぎやま・ゆうま)(オリエンタルバイオ・中京大)の父正和(まさかず)コーチも指導陣に加わり「金の卵」を育てていく。情報引用元:https://deepedgeplus.kyodonews,jp/
鍵山正和の離婚歴は2回で理由は?若い頃に酒でトラブル?
全日本フィギュア男子シングルで6位になった鍵山優真選手のご尊父、鍵山正和さん。1994年に幕張メッセで開催された世界フィギュアのときに写真におさまっていただきました。ファンだったのです。 pic.twitter.com/KIjbVqZgYi
— こ ま (@comacance) December 25, 2018
1993年リレハンメル五輪の時には、すでに結婚していました。
恐らく1回目の結婚だったのでしょう。
このリレハンメル五輪のあと、
”ちょっとした騒ぎ”
が起こります。
酔っ払った正和さんが、フィギュア日本代表の杉田秀男監督(当時)に殴りかかった
普段は穏やかな正和さんですが、お酒をのむとコントロールが利かなくなることがあったそうです。
そして、時々周囲との揉め事があったといいます。
この時の件では、清水宏保さんら他競技の選手が総出で止めに入る大騒動となったのです。
もしかすると、お酒が入ると家庭でも気が荒くなっていたのかもしれません。
お酒のトラブルが重なり、家庭や周囲との摩擦が大きくなった結果、最初の妻とは離婚に至ったのかもしれません。
ところで優真選手は父親の最初の妻との間に生まれたのでしょうか?
情報は公表されていません。
しかし1つ言えることがあります。
優馬選手には姉と弟がいるという情報があります。
そして、姉と弟は母親と一緒に暮らしているということです。
離婚後に子供を引き取る場合、自分の生んだ子を引き取るのが普通でしょう。
そのため3人兄弟は同じ母親から生まれたのだろうと推測できます。
最初の妻との離婚原因が、正和さんの酒のトラブルのせいだとすると、トラブルのあった1993年か翌年には離婚しているのではないでしょうか。
優真選手は2003年生まれなので、優真選手と兄弟の母親は2番目の妻ということになります。
鍵山正和の妻との離婚は?富山の生活が原因?

正和さんが2人目の嫁といつ結婚をして、いつ離婚したのか明確な情報はありません。
2005年、正和さんは専属インストラクターとして富山へ移り住みます。このとき優真選手は2歳。
優真選手が2番目の嫁との間に生まれたのであれば、富山へ行く前に結婚したことになります。
優真選手の姉もすでにいますが、弟は富山で生まれたのかもしれまんせん。
優真選手の弟が富山で生まれたのだとすると、3人の子供を抱えた妻が新しい土地での生活や雪深い環境に馴染めず、辛い思いをしたのかもしれませんね。
ちなみに正和さんは富山県で5年間、その後は軽井沢で5年間、インストラクターとして指導してきました。
2005~2010年「富山スケートセンター」
2011~2016年「風越公園アイススケートセンター」(軽井沢)
2016~「横浜銀行アイスアリーナ」
同時に優真選手のコーチとして指導を続けてきました。
他に考えられる離婚の理由としては、正和さんが優真選手の指導に打ち込みすぎたため、妻と他2人の子供が愛情に不満を感じた、ということも考えられます。
正和さんは指導はとても厳しかったそうです。
優真選手が小学生の頃参加していたスケート教室では、息子に対する容赦のない指導に他の父兄が驚いたという話しがあります。
優真選手と過ごす時間が、長く濃密だったことで、他の家族が寂しがったのかもしれません。
まとめ:鍵山正和の嫁との離婚の理由は?酒グセと富山の暮らしが原因?
本日鍵山正和の離婚の理由について調べました。
具体的な原因は不明のままですが、色々なエピソードから考えられることをまとめました。
1.フィギュアスケート関係者とのお酒のトラブルがあったことから、家庭でも同様のトラブルがあった可能性
2. 馴染めない土地で、3人の子どもを抱えて不安が離婚につながった可能性
3.正和さんがスケートの指導に熱心で、家族への愛情に不安を感じた可能性
家庭内では色々なことがあったようですが、今は、日本トップクラスのスケーターとなった優真選手のコーチとして第2の人生を送っています。
優真選手にとっては素晴らしいコーチ、そして誇りにできる父親です。



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