麻実れいさんは、宝塚歌劇団雪組トップスターとして一時代を築いたレジェント。
その後もストイックな舞台人として歩み続け、日本演劇界を代表する名女優です。
端正で中性的な美貌と、鋭さと温かさを併せ持つ演技で、多くのファンや共演者から愛されてきました。
もう75歳の麻美さんは、今も変わらずきれいですから昔も気になりますよね。
本日は麻実れいさんの若い頃の画像や宝塚時代の写真を調べました。
麻美れいの経歴&プロフィール!宝塚何期生?
親元を離れたい一心で
— りーちゃん (@puripuriko1202) December 7, 2025
宝塚音楽学校へって…😵
そうだったの💦💦😱😱
「若い頃のお父さんそっくり」
ここは激しく同意😆😆#麻実れい 様 #ターコさん pic.twitter.com/lCseKmAJ8v
- 本名:信元孝子(のぶもとたかこ)(旧姓:田中)
- 生年月日:1950年3月11日(2025年現在 75歳)
- 出身地:東京都千代田区
- 最終学歴:東京家政学院高等学校(1968年卒業)
- 身長:172cm
- 血液型:O型
東京の神田明神界隈で、刀剣の鍔などの金具製造業を営む父のもと、三人姉妹の末っ子として生まれてました。
幼いころからバレエを習い、姉や近所の人に可愛がられて育ちました。
将来のことは特に考えていませんでしたが、実家を出たかったとか。
宝塚へ入るきっかけを作ったのはお姉さんたち。
高校3年生のときに宝塚ファンだった姉たちの勧めで宝塚音楽学校を受験し、見事合格。
同年4月、宝塚音楽学校に入学。刺激的な毎日だったといいます。
2年間の厳しいレッスンを経て、1970年に56期生として宝塚歌劇団に入団。
2019年11月14日アエラでのインタビューでこのように答えています。
宝塚で学んだことは数えきれない。社会人としてのイロハから、芸事の基礎、目標を持つことの大切さ、物づくりの楽しさまで。
「大げさに聞こえるかもしれませんが、甘ちゃんだった私は、宝塚によって“更生させていただいた”と思っています。それまでは、いかにラクするかを考えるような、世間知らずの根性なしでしたから(笑)」情報引用元:https://dot.asahi.com/
初舞台の時には父親は病気で他界していましたが、母親は
「若い頃のお父さんにそっくり!」
と喜んだそうです。
同時期に小柳ルミ子さん(当時は夏川るみ名義)が在籍していた世代です。
1970年代は「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」などの名作が誕生。
麻実れいさんの存在が瞬く間にスポットライトを浴びました。
細く長い手足とすらりとした長身は「絵になる男役」そのものだったのです。
代表的な作品をいくつかご紹介します。
| 年代 | 公演名 | 役名・特徴 |
|---|---|---|
| 1975年 | ベルサイユのばら-アンドレとオスカル- | アンドレ役に抜擢、一躍スターへと躍進した転機の作品 |
| 1976年 | 星影の人 | 土方歳三役。歴史上の人物に独自の陰影と男気を与えた演技が高く評価 |
| 1977年 | あかねさす紫の花 | 中大兄皇子役。古代の皇子の孤独と気高さを繊細に表現し、自身の代表作の一つ |
| 1979年 | 愛の飛翔(バウホール) | リサイタル形式の公演で主演。のちに『愛の飛翔II』『III』とシリーズ化される人気作となった |
| 1980年 | 花の舞拍子/青き薔薇の軍神-アンジェリクII- | 雪組トップスターお披露目公演。遥くららさんとの黄金コンビが“伝説”と語られるきっかけになった舞台 |
退団後の活動は舞台を中心に映画・テレビドラマにも出演。
シェイクスピア作品や現代戯曲など、幅広いジャンルで高い評価を得ています。
またここに挙げきれないほど、多くの賞を受賞しています。
| 年代 | 賞 | 受賞対象作品・内容 |
|---|---|---|
| 1996年(第3回) | 読売演劇大賞 最優秀女優賞 | 『ハムレット』『エンジェルス・イン・アメリカ』 |
| 2001年(第24回) | 日本アカデミー賞 優秀助演女優賞 | 映画『十五才・学校IV』での演技が評価 |
| 2002年 | 毎日芸術賞 | 舞台『サラ』での繊細かつ力強い演技に対して授与 |
| 2006年 | 紫綬褒章 | 長年にわたる舞台芸術への顕著な功績が認められた国家叙勲 |
| 2020年 | 旭日小綬章 | 芸術文化の振興への多大な貢献が評価され、秋の叙勲で受章 |
さらに、読売演劇大賞の最優秀女優賞、菊田一夫演劇賞、紀伊國屋演劇賞など、数々の演劇賞を複数回受賞。
“受賞歴が作品史そのもの”です。
2014年には宝塚歌劇団創立100周年を記念した「宝塚歌劇の殿堂」の初期100人の1人として殿堂入り。
2023年には日本芸術院会員となるなど、まさに舞台界の
“生きるレジェンド”
です。
1995年7月麻美さんは45歳、曙ブレーキ工業株式会社の会長・信元久隆氏と結婚しました。
信元氏は前妻が他界。小学生の2児を連れた再婚で、麻実さんは初婚でした。
いきなり母となったわけですが、「お母さん」とは呼びにくいだろうからと、子供には「ターコ」と呼ばせていたそうです。
(「ターコ」は麻実さんの本名に由来するニックネーム)
【画像】麻実れいの若い頃が超美人!昔の写真!

麻実れいさんの若い頃の写真です。
この時代でこの容貌なら、
「ハーフでしょ?」
と思いますが、麻実さんがハーフという情報はありません。
もしかすると、両親のどちらかがハーフで麻実さんはクォーターかもしれませんね。

女性としても美しい麻実れいさんです。
そして172㎝という長身!
モデルや女優になるために生まれてきたようですね。
【画像】麻実れいの昔の宝塚時代!かっこいいハンサムな写真!

麻実さんは
「男装の麗人」
として一世を風靡しました。
「ベルばら」のアンドレや、「風と共に去りぬ」のレット・バトラーは麻実さんのために創造された、と言っても過言ではないでしょう。
#翔んで埼玉
— はるまま💖 (@vicyuuharu) February 8, 2025
お若い方はGackt様演ずる
麻実麗の名前は麻実れい様から取られたことを知らんのだろうな… pic.twitter.com/wNhYdw6gcX
惚れ惚れするようなハンサム振りですね。
麻美れいさん退団公演「はばたけ黄金の翼よ」を観たら一路さんのクラリーチェが可愛すぎた😍麻美さんの相手役に研4で抜擢、娘役への転向を麻実さんに相談すると「チャンスがまだあるのだから男役として頑張れ」との言葉をもらい男役として進みトップになった。的確に助言してくれる人がいるって大事!! pic.twitter.com/GLphPmAweG
— ま。 (@asiaresotravel) March 12, 2024
立ち姿が凛々しいですね。
筆者は阪急沿線の学校に通学していたので、通学中は宝塚歌劇団の電車のつり広告で、よく麻実れいさんにお目にかかっていました。
宝塚ファンでなくとも同級生たちは
「麻実れいさん」
のことは当然知っていました。
そんな時代だったんですね。
まとめ:【画像】麻実れいの若い頃が超美人!かっこいい宝塚時代の昔の写真も!
本日は麻実れいさんの若い頃の画像をお届けしました。
*東京下町の生まれ
*3人姉妹の末っ子として可愛がられた
*姉の勧めで宝塚を受験
*172㎝の長身から男役として一世を風靡
*代表作は「ベルばら」「風と共に去りぬ」
*退団後も舞台劇を中心に活躍し、数々の賞を受賞
*2020年旭日小綬章受賞
これからも活躍される麻実れいさんに注目です。


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